横浜地方裁判所 昭和34年(ワ)565号 判決 1960年7月15日
原告 平山志ん
被告 安藤精重
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は、原告の負担とする。
事実
原告訴訟代理人は、「被告は原告に対して、別紙目録記載の土地の引渡をせよ。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決を求め、その請求の原因として、
「(一) 原告は、昭和二〇年一〇月、被告から、その所有の別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)を、建物所有の目的で、賃料一坪一ケ月二五銭の約で、存続期間の定なく、借り受け、爾来右賃借権に基いて同土地を占有使用していた。
(二) しかるに、本件土地は、昭和二一年三月三〇日、突然旧連合国占領軍の供用地として接収されたため、原告において使用することができなくなり、その後、アメリカ合衆国駐留軍の供用地としてひきつづき接収されてその状態が継続したのであるが、昭和三三年四月一五日に右接収が解除され、同時に所有者である被告に返還引渡され、現に同人が占有使用中である。
(三) 原告は、右接収解除後直ちに、前記賃借権に基いて、被告に対して、右土地の引渡を求めたところ、被告はこの要求に応じないので、原告は被告に対して、その引渡を求めるためこの訴をする。(なお、本件土地は、横浜市施行の区劃整理の結果別紙目録記載のとおり仮換地の指定を受け、その効力は昭和三二年一〇月一日に発生した。)」
と陳述し、被告の一部自白の取消に異議を述べ、被告の主張並びに抗弁の各事実を否認し、なお、「(一)本件土地の賃貸借は、当時、原告の方から進んで申込をしたものではなく、被告の方から訴外亡斉藤峯吉(鳶職)を介して申込の誘引をうけ、原告は一応拒んだのであつたが、重ねて右訴外人から頼まれたので、ついに賃借したもので、その際権利金として当時の金額二五〇円を被告(当時被告の後見人であつた訴外安藤竜太郎)に支払つた上、現地について、原告右斉藤及び安藤立合の上棒杭やなわを以て賃借土地の範囲を明確にしたものである。(二)本件土地の賃借権は、同土地が接収されていた間は、行使することができない事情にあつたのであるから、同賃借権の消滅時効は接収解除のあつた昭和三三年四月一五日から進行するものであつて未だ十年の時効期間は満了していないから、被告の時効の抗弁は失当である。」と附演し、
立証として、甲第一乃至四各号証を提出し、証人平山常光、同きくゑこと上原きく江及び同安藤竜太郎の各証言並びに原告本人訊問の結果を援用し、乙号各証は知らないと答えた。
被告訴訟代理人等は、「主文同旨。」の判決を求め、答弁として「原告主張の請求の原因中別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)が被告の所有に属すること、原告主張の接収及びその解除の事実、原告主張の区劃整理による仮換地の事実並びに被告が本件土地を現に占有している事実は、いずれもこれを認めるが、その余はすべて争う。(もつとも、被告は、本件第二回口頭弁論の期日(昭和三四年一〇月一五日午前一〇時)及び同第五回口頭弁論の期日(昭和三五年三月七日午後二時)において本件土地のうち京浜第二国道沿いの部分三一坪を除くその余の二〇六坪を昭和二〇年一一月原告に対して賃料一坪一ケ月金二五銭で賃貸期間の定なく賃貸した旨原告の主張事実を一部認め、その後本件第七回口頭弁論の期日(昭和三五年五月一六日午後二時二〇分)において右の自白は真実に反しかつ、錯誤に出たものであることを理由にこれを取り消した。)」と陳述し、予備的主張として、「(一)かりに、原告と被告との間に本件土地について原告主張のような賃貸借があつたとしても、原告は同賃貸借成立後昭和二〇年一一月頃以降その賃借権を行使しなかつたのであるから、同賃借権は、民法第百六十七条第一項により右年月以降一〇年間の経過により昭和三〇年一〇月頃時効により消滅したものであつて、被告はここに右時効を援用するから、右賃借権の存続を前提とする原告の本訴請求は失当である。(二)かりに、右の抗弁が理由がないとしても、被告は、本件土地のうちの京浜第二国道に沿つた部分三一坪を昭和二〇年六月訴外山田某に賃料一坪一ケ月金二五銭、毎月末日限りその月分支払の約で、賃貸期間の定なく、賃貸し、その後、原告からの申出により同年一一月頃残地二〇六坪を、右と同様の条件で、原告に賃貸したものであつて、すなわち、被告が原告に賃貸したのは本件土地の全部ではなくして、右訴外人に賃貸した三一坪を除く残地のうち二〇六坪なのであるから、本件土地全部の引渡を求める原告の本訴請求はこの点からも失当である。」と述べ、
立証として、乙第一号証の一乃至三を提出し、証人安藤竜太郎及び同安藤トクの各証言を援用し、甲各号証の成立を認めた。
理由
一 「本件土地が被告の所有地である。」こと並びに「本件土地について原告主張の区劃整理による仮換地の指定があつた。」ことはいずれも当事者間に争がない。
二 原告は、「原告は、本件土地の全部を、昭和二〇年一〇月被告から、建物所有の目的で、賃料一坪一ケ月二五銭の約で、存続期間の定なく、借り受けた。」旨主張するのに対して、被告は、「被告が原告に、その主張のような目的及び条件で、本件土地のうち京浜第二国道に接する三一坪を除く残部中二〇六坪を、昭和二〇年一一月頃、賃貸したことはあるが、本件土地の全部を賃貸したことはない。」旨答え一旦原告の右主張事実の一部を自白した後、右自白は真実に反し、かつ、錯誤に出たものであることを理由として取消をしたので、先づ、その取消の許否について案ずるに、被告の採用する証人安藤竜太郎及び同安藤トクの各証言とこれらの証言により成立を認める乙第一号証の一乃至三を綜合すれば、「昭和二〇年一一月頃被告は未成年者であつて、その祖父である訴外安藤竜太郎が、被告の親権者母訴外安藤トクに協力して、事実上被告のため本件土地の管理等をしていたところ、本件土地のうち京浜第二国道に接する三一坪を除くその余の部分中二〇六坪を当時原告に賃貸するについて右竜太郎とトクとの間に意見の相違があつた。」ことは認められるが、それ以上に出て、右自白が真実に符合しないという事実は右各証拠並びに本件にあらわれた全資料に徴しても肯認することはできない(かえつて、右各証拠によれば、「右の意見の相違はあつたが、結局、被告の親権者(法定代理人)である母訴外安藤トクにおいて右年月頃本件土地中の右認定部分を原告に賃貸し、訴外安藤竜太郎も亦やむなくこの賃貸借を認め、爾来同土地が接収された昭和二一年三月分までの賃料を受領してきた。」事実を認めることができる。)から、したがつて、亦、この自白が錯誤に出たものとすることはできず、右自白の取消は許されないものといわなければならない。
よつて、進んで、「原被告間の土地賃貸借が昭和二〇年一〇月に本件土地の全部について成立した。」旨の原告の主張について案ずるに、原告主張の右賃貸借成立の年月については、本件にあらわれた全立証に徴しても、未だこれを確認するに足らず、右賃貸土地の部分及び面積については、いずれも成立に争のない甲第一乃至三各号証と証人上原きく江及び同平山常光の各証言並びに原告本人訊問の結果を綜合すれば原告主張の事実を認めうるかのようではあるが、しかし、右各証人の証言及び原告本人の供述は前顕乙第一号証の一乃至三、証人安藤竜太郎及び同安藤トクの各証言と対比し、かつ、本件弁論の全趣旨に徴すれば、必ずしもたやすく信をおくことができず、他にこの点についての原告の主張事実を証する資料はないから、この争点についての原告の主張は排斥せざるをえない。
そして、結局、「被告が、昭和二〇年一一月頃、本件土地のうち京浜第二国道に接する三一坪を除くその余の部分中二〇六坪を原告に、その主張の目的及び条件で、賃貸した。」という当事者間に争のない事実に帰することになるが、この事実に以上挙示の各証拠を綜合して弁論の全趣旨に照せば、「右の二〇六坪の土地とは、右賃貸借成立当時当事者間で的確に現地を測量して算出した面積ではなくして、要するに、本件土地全体から右の三一坪を除いたその余の残地である。」ことがわかるのである。すなわち「原告は被告との間の右賃貸借に基いて右の部分の土地について賃借権を取得した。」こととなる。
三 しかるに、被告は、「原告は右賃貸借の成立した昭和二〇年一一月頃以降一〇年以上その賃借権を行使しなかつたから、同賃借権は時効により消滅した。」旨主張して、その時効を援用するのに対し、原告は、「本件土地の接収期間中は時効は進行せず、接収解除の時(昭和三三年四月一五日)から進行するのであるから、本件賃借権は未だ時効により消滅していない。」旨争うので、この点について考案するに、「およそ消滅時効は権利を行使することを得る時より進行する(民法第百六十六条第一項)のであつて、権利が発生し、しかも、その行使の時期が到来して、その行使に法律上の障害のない時から進行する。(大審院昭和四年(オ)第一九五六号事件、同五年六月二七日判決、民集第九巻六一九頁以下参照。)」と解するを相当とするから、「権利を行使することを得る時においてこれを妨げる法律上の事由がある場合には、消滅時効はその通行を開始しないけれども、そうでなくして、一旦その進行を開始した後にその権利の行使の障害となる法律上又は事実上の事由が発生した場合には、その進行中の時効は、民法第百六十一条に定める時効の期間満了の時に当つて天災其他避くべからざる事変の為め時効を中断することができない場合のほかは停止しない。」ものといわなければならないところ、本件においては、「本件土地が、原告主張のように、前認定の原被告間の土地賃貸借成立の約四ケ月後である昭和二一年三月三〇日に旧連合国占領軍に接収され、爾来同軍の、そして後には、アメリカ合衆国駐留軍の供用地としてその接収が継続され、昭和三三年四月一五日に至つてようやく接収解除となつたものであつて、その接収期間は一二年余に及んだ。」ことは、当事者間に争がなく、しかも、「右賃貸借成立後右接収に至るまでの約四ケ月の間原告が建物所有の目的で同土地を使用収益することによりその賃借権をひきつづき行使した。」という事実を肯認するに足る証左はないから、「原告は、右賃貸借の成立によりその賃借権を行使できる時からすなわち、おそくとも、接収直前においてこれを行使しないでいるうちに、右接収によりその行使を妨げられるに至つた。」ことが明かであつて、この接収のため賃借権の行使が不可能にはなつたが、その以前に進行を開始した時効は、接収そのものが時効中断の事由とならないと解すべき(民法第百四十七条)であるから、接収によつて中断されることもなく、又、接収が時効期間満了の時に当つての時効中断不能の原因事実である天災その他避くべからざる事変(民法第百六十一条)に該当するとも解し得られないのであるから、接収によつてその進行を停止されることもなかつたといわねばならず、その上、右接収期間中に賃貸人である被告から賃借人たる原告に対してその賃借権存在の承認をしたとか、反対に、原告から被告に対してその賃借権についての請求(催告又は当事者間の争を前提とする賃借権存在確認の訴等による裁判上の請求。事の性質上、接収期間中に賃借土地引渡の請求訴訟はできない。)をしたとかという時効中断の事由たる事実の主張並びに立証もないのであるが故に、結局、前認定の本件賃借権について、民法第百六十七条第一項の定める一〇年の消滅時効は、右接収期間中に満了したものと解するを相当とする。したがつて、この争点についての前記原告の主張は採用することができない。
この点に関連して、接収不動産に関する借地借家臨時処理法第三条第一項本文は、「土地が接収された当時におけるその土地の借地権者で、その土地の接収中にその借地権が存続期間の満了によつて消滅した者は、その土地又はその換地に借地権(・・・)の存しない場合には、その土地の所有者に対し、この法律施行の日(昭和三一年六月八日)(この法律施行後接収の解除があつたときは、接収の解除の公告の日。以下同じ。)から六箇月以内に建物所有の目的で賃借の申出をすることによつて、他の者に優先して、相当な借地条件で、かつ、賃借権の設定の対価を支払うことが相当でない場合を除き、相当な賃借権の設定の対価で、その土地を賃借することができる。」と規定しており、本件において原告は、「本件土地の接収解除後直ちに、賃借権に基いて、被告に対して、右土地の引渡を求めた。」旨主張し、成立に争のない甲第一号証に徴すれば、「原告が被告に対して、本件土地の接収解除の直前である昭和三三年四月一〇日書面を以て同土地の引渡を求める意思表示を発した(反証のない限り、その頃被告に到達したものと認める。)。」事実を認めることができるが、右の法条は土地の接収中に時効その他の事由により消滅しなかつた土地賃借権が存続期間の満了によつて消滅した場合の規定であつて、したがつて、同法条は接収中に消滅時効にかかつて消滅した土地賃借権についてまで適用又は準用されるものではないから、この点からしても、原告の前記見解は採用するに由がない。
すなわち、原告の本件土地中の前認定部分に対する賃借権は同土地の接収中に時効によつて消滅に帰したものであつて、被告においてこの時効を採用するのであるから、被告の時効の抗弁は理由があり、原告の本訴請求は、この点において、失当たるに帰する。
四 よつて、原告の本訴請求を失当として棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 若尾元)
目録
横浜市神奈川区新子安三六番地
一 宅地 二三七坪〇合三勺
(但し、横浜市施行の区劃整理により、現在その地積は一九一坪五合九勺に仮換地されている。)